2018年04月11日

つぶやき その101

≪ 石川雲蝶講演会が開催されます。≫

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南魚沼雲蝶会主催の第10回雲蝶講演会が開催されることになりました。
今までの講演会では『アナログ式』で、1枚づつパネルをご覧いただきながらのお話でしたが、今回はスクリーンに映し出して大きく見やすい画面で見ていただけるようになりました。

今年、年始めに『棚からぼた餅』のように、思いがけず面白い物が見つかりました。
それがまた縁となって、繋がっていく・・・今わからなければわからないまま次の世代にわたる事になり、そうなってしまうとたったこれだけのことであっても、そこでこの歴史は途絶えてしまいます。
小さなことでも、できる事は今のうちに掘り起こして記録しておかなければなりません。そんな中の1つの繋がった話を今回の講演会で話したいと思っています。

春風に誘われて、上の原高原に咲くサクラを眺めながらお出かけになりませんか?

日 時  4月 17日(火) 午前 9:30〜
会 場  六日町上の原高原温泉 龍氣養命堂 2階
入場料  ¥1,000 ※入浴できます

参加条件 何も無し! どなたでもwelcome

ご不明な点は、南魚沼雲蝶会事務局へ、どうぞお気軽にお問合せください。


 
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2018年04月04日

つぶやき その100

≪ 記念すべきブログの更新 第100回目! ≫

 『石川雲蝶を紹介する公式ブログ』が、今週で記念すべき100回目を迎えました。
1週間に1度、ただひたすら、気の向くまま思い付くままにツラツラと書き続けていたら、いつの間にか100回目を迎えてしまったというのが本心ですが、何しろ雲蝶に関する事だけを載せるというマニアックなブログなものですので、このページを覗いてくれる方々も少なく、途中で放棄したくなることもありました。

でも、継続は自分のモットーでもありますので、継続なしに達成はないと信じています。
2014年に生誕200周年でブレイクした石川雲蝶は、今生きていれば204歳になります。他界してから134年ぶりに現世をみたこの世の中は、さぞ仰天したことばかりだったでしょう。そして作り置きした自分の仕事がこれほどまでに人に感動を与えていることに二度びっくりしているかもしれません。

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多くの著名な方々や知識人が雲蝶の残した作品について、これ以上の言葉はないくらいに絶賛しています。
ですので私は少し視野を変えて、こんな作品を残すことができた雲蝶の時代背景に心惹かれ、幸いにも彼が歩き回った地元に住まいがあるため雲蝶の背後に広がる関りを掘り起こしてきました。

美術品、芸術品という観点から、『作品』という言い方をしているのは現代人で、本人は案外何ということはなく「仕事で注文されたものを作っただけなんだが・・・」くらいに思っているだけなのかもしれません。

その仕事で残してきた彫り物を観ていると、少しづつ人間性というか彼の人となりが見えてくるから不思議です。私が勝手に妄想している事なので、悪しからずにお願いします。

彼は律儀な人だったんだと思います。
酒と博打の話は、どこの集落に行っても言い伝えられていたようですが、それは雲蝶だけに限った事ではなく当時とすれば、ごく普通の職人の遊び方だったのだと考えます。

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そして彼は小さな生き物に事のほか思いを寄せていたように思います。
この写真の中でそれがよく分かります。雲蝶が豪快に彫る深彫りの1枚板の欄間に、目にも入らないような場所に登場させているんです。小さいながらも生きていく術を身につけている「かたつむり」が、雲蝶の題材には多いんです。それに、ハチの巣にはしがみ付いているハチが1匹、身体をくねらせてリアルですね。

大きな題材に目を奪われてしまいがちですが、雲蝶の遊び心、面白さというのはこうした人の目が行き届かないところにあるように思います。

ではまた来週

すい子

 
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2018年03月28日

つぶやき その99

≪ 先週に続き、雲蝶の手掛けた宣伝用の立て看板をご紹介します。 ≫

先回ご覧いただいたように、三国街道塩沢宿の豪商、鈴木屋の依頼で雲蝶は薄荷油の宣伝用の立て看板を作りました。当時は絶大な宣伝効果があったのですが、明治の新しい御代を迎えると9mもあるものは交通の障害になるとの事で、明治11年には「早く撤去するよに!」と催促されていました。

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鈴木屋はこの大看板を解体し、鈴木家の菩提寺である長恩寺に寄進しました。
以来、雲蝶の看板の彫り物は小さなパーツに解体されて、長恩寺のお位牌堂に飾られ現在に至っています。

当時、塩沢宿では格式の高い家々が数多く先祖代々から商いを続けてきました。その為普通では見る事ができないようなお位牌がずらりと並び、『まるで絢爛豪華な屋根付きのお墓みたいだ!』とびっくりする方も多いようです。

こちらのお寺さんに限りませんが、魚沼の寺院のお位牌は他と比べて大変大きくて豪華です。
でも、無駄に大きいだけではなくきちんとその訳があるんですよ(^^♪

魚沼は豪雪地です。現在は地球温暖化という理由で、雪の降る時期が短くなったと言われますが、昔は11月から4月頃まで1年の半分は雪の中、という時代もありました。春の彼岸の頃はお墓はすっぽり雪の中で、お墓参りなどできる状態ではなかったんですね。
その為、菩提寺に位牌を置いてお墓参りができるようにと、位牌もお墓のように大きく豪華にしたんです。

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そんなお位牌堂にふさわしく、詳細に彫り込んだ雲蝶の彫刻がお位牌堂入り口の両隅を飾り、格調の高さを物語っています。

こちらの写真です。

雲蝶の作品は中国の古事にちなんだ物語が多く、寺院に見られるような代表作なども必ずストーリーがあります。見ただけではなかなか分からない事も、作品に関わる話を聴きながらだと一層作品の価値が高くなります。
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中国の漢の時代の高名な将軍「張良」が、若い頃の武者修行時代に出会った「黄石公」という老人に、兵法の奥義を伝授してもらう約束をしたのですが、何日経ってもこの師匠は教える気配がなかったんです。
兵法の奥義を求める張良は、だんだんいら立ちが募ってきました。

そんなある日、町を歩く張良の目の前に馬に乗った黄石公が現れ、片方の左足からクツがポロリと脱げたんです。すると「履かせよ」と老人は左足を差し出します。張良は師匠の老人の言うことを黙って聞き、左の足にクツを履かせます。
 
すると別の日、また張良が町を歩いていると、また同じように師匠の黄石公が馬に乗って現 れ、今度は両方のクツがポロポロと脱げ、同じ様に「履かせよ」と言って、今度は両足を出すんです。同じ様に張良は師匠の両足にクツを履かせるんですが、その時に張良は全てを悟り兵法の奥義を極めたというんです。
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この事がなぜ兵法の奥義を極めた事になるのか、凡人の私には理解し難いのですが、張良は教えてもらうという行為をずっと待っていたところへ同じ偶然が2度も続けて起こり、こんな偶然は2度はない、これが師匠の教えだと自分の中で悟ったんです。

もしかしたらこの2度の偶然は、ホントに偶然だったのかもしれません。黄石公がわざわざ教えるための行為ではなかったのかも知れない。でも張良がそれを自ら学んだという 事が後の彼を作る大きな要因だったのでしょう。

雲蝶はこうした中国の古事にちなんだ作品が多いのですが、そうした中の1つの作品です。
馬に乗っているのは黄石公、膝をついてクツを差し出しているのが張良です。

私も石川雲蝶のストーカーとして、どうしたら奥義を極められるのか現代版の黄石公はいないのでしょうか???

ではまた来週

すい子

 
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