≪ 2泊3日の雲蝶探しに・・・ ❸ ≫初雪早々に面食らってしまいました。

初雪とは必ず一旦は消えるというジンクスを疑いもしませんでしたので。
里に初雪が降って、「いよいよ本降りになるから、今の内に準備をしておけよ」という、天からの声だと思い一旦消えている間にタイヤ交換したり、雪囲いしたり冬野菜を採り終えたりして冬の準備を万端にするのが毎年の恒例・・・・
だったのが、なんと今年は初雪が消えなかった!!!
オマケに大雪警報まで出て、前日の未明までゼロpの積雪が多い所で180cm!あり得ない・・・

その結果が関越道の2100台の立往生でした。
全国的に南魚沼市はテレビのニュースで有名になってしまいました。
テレビのニュースを見て、「生きてるか」、「雪に埋まってないか」、「食料はあるか」と、心配の声をいただきありがたかったです。
何だか昨年の少なかった雪が、今年10倍返しになって返ってきたような感じです。
コロナ禍の事もあり、こういう時はステイホームで、安心安全を確保した方がいいのかもしれませんね。
さて、雲蝶探しで3日間カラッ風に吹かれてきましたが、以前から気になっていた熊谷の寺院に雲蝶の彫り物に酷似した獅子があります。自分の中では確定していたのですが勝手な推測でしかありませんでしたので、寺院のご住職に詳細を確認する為に尋ねました。
「そのような話もあるのだが、刻銘が無い事と寺の文献が昔焼失してしまったので経緯が分からない」として、寺院では非公開にしているとの事でした。
やはり何といっても名前が残されていないという事は弱みです。
肝心の雲蝶の作品ではないかと思われた彫り物は、本堂ではなく別棟のお堂の向拝にありました。正面虹梁の彫り物はもちろん龍です。
向拝柱は獅子が一対。
一瞬、魚沼にある雲蝶の獅子が頭をよぎりました。
ご住職の話によりますと、本堂の向拝を作ったのは新井祥雲という彫り師で昭和の後半に他界しています。
その当時はこの本堂を建てる時に二十三夜堂が邪魔だったため、そのお堂を境内の別の位置に移したようで、新井祥雲はこの二十三夜堂の向拝を見て「これは自分の先祖が彫ったものだ」と言っていたそうです。
新井祥雲は婿養子に入って新井姓になったが、元は小林を名乗っていたと言います。
小林の流れから想像できるのは、熊谷の小林源太郎ですが、最近まで生存していた彫り師が源太郎の子孫だったとは考えにくいですね。もう既に土の下にいる人を起こして聴くわけにもいきません。
ただ雲蝶と源太郎の作品が何処かで似通っていることはあり得るかもしれません。
雲蝶が門人となって修行した石川流の元祖、石川周信は花輪の石原吟八郎から出た彫り師です。源太郎の父源八も同じ石原吟八郎の門人でしたので同じ釜の飯を食った間柄だったのかもしれませんので、作品が似ている事も否めません。
文献も焼失したとの事なので真実は分かりません。
ただよく観察した中では、雲蝶ならもっと迫力があったかナ・・・とか、もう少し詳細な部分も彫ったんじゃないかナとか、雲蝶びいきの私は、やっぱり忖度してますね(笑)
とりあえず、ずっと心の奥にくすぶっていた事を今回確認できただけでも収穫でした。
ではまた
すい子
posted by 南魚沼雲蝶会 at 16:34
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