2021年01月07日

つぶやき その183

≪ 2021年、新年明けましておめでとうございます ≫

こんな世の中で何がめでたいのかと、当たりどころのない心境でただただ、世の中の情勢に身を任せ、偉い方々の言葉に従う他ないのが現状です。

しかし、雲蝶の作品の魅力は留まる事を知らず、深く探れば探るほど思いがけない魅力が発見されます。
江戸に生まれ人生の前半を江戸で過ごしているので、雲蝶の作品が江戸に残されていても不思議ではないはず、でも、越後にしか観る事ができない。

210107_01.jpg210107_02.jpg210107_03.jpg210107_04.jpg

そんなはずはないと調べていくと、ありがたい事に偶然、上州で刻銘が残されている雲蝶の作品を発見できたのですが、モチロン、越後入りする前のモノですので越後から流出したものではなく貴重な作品です。
以前、このブログでも取り上げたことがありましたが、何しろ関係筋が頑なに情報を拒み、私の知りたかった詳細は何もわかりませんでした。
しかし、ここに作品があるという事は、まだ他にもあるに違いない!
雲蝶が越後に来るまで、江戸でどのような生き方をしていたのか、人生の前半をどうしても紐解きたいと今年もまた細やかな情報を手掛かりに1年が過ぎていくのだろうな。

課題の1つでもある「まぼろしの六歌仙」の欄間の行方も前進することなく、止まったままです。今年は何としても六歌仙の行方を明らかにしたいと願っています。

ブログの掲載も不規則ですがお許しいただき、思い出した時に覗いていただければ幸いです。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

ではまた

すい子
posted by 南魚沼雲蝶会 at 12:15 | Comment(0) | 会長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年12月23日

つぶやき その182

≪ 2泊3日の雲蝶探しに・・・ ❸ ≫

初雪早々に面食らってしまいました。
初雪とは必ず一旦は消えるというジンクスを疑いもしませんでしたので。
里に初雪が降って、「いよいよ本降りになるから、今の内に準備をしておけよ」という、天からの声だと思い一旦消えている間にタイヤ交換したり、雪囲いしたり冬野菜を採り終えたりして冬の準備を万端にするのが毎年の恒例・・・・
だったのが、なんと今年は初雪が消えなかった!!!
オマケに大雪警報まで出て、前日の未明までゼロpの積雪が多い所で180cm!あり得ない・・・
その結果が関越道の2100台の立往生でした。

全国的に南魚沼市はテレビのニュースで有名になってしまいました。
テレビのニュースを見て、「生きてるか」、「雪に埋まってないか」、「食料はあるか」と、心配の声をいただきありがたかったです。
何だか昨年の少なかった雪が、今年10倍返しになって返ってきたような感じです。
コロナ禍の事もあり、こういう時はステイホームで、安心安全を確保した方がいいのかもしれませんね。

さて、雲蝶探しで3日間カラッ風に吹かれてきましたが、以前から気になっていた熊谷の寺院に雲蝶の彫り物に酷似した獅子があります。自分の中では確定していたのですが勝手な推測でしかありませんでしたので、寺院のご住職に詳細を確認する為に尋ねました。
「そのような話もあるのだが、刻銘が無い事と寺の文献が昔焼失してしまったので経緯が分からない」として、寺院では非公開にしているとの事でした。

やはり何といっても名前が残されていないという事は弱みです。
肝心の雲蝶の作品ではないかと思われた彫り物は、本堂ではなく別棟のお堂の向拝にありました。正面虹梁の彫り物はもちろん龍です。
向拝柱は獅子が一対。
 
201223_01.jpg201223_02.jpg201223_03.jpg201223_04.jpg

一瞬、魚沼にある雲蝶の獅子が頭をよぎりました。
ご住職の話によりますと、本堂の向拝を作ったのは新井祥雲という彫り師で昭和の後半に他界しています。
その当時はこの本堂を建てる時に二十三夜堂が邪魔だったため、そのお堂を境内の別の位置に移したようで、新井祥雲はこの二十三夜堂の向拝を見て「これは自分の先祖が彫ったものだ」と言っていたそうです。

新井祥雲は婿養子に入って新井姓になったが、元は小林を名乗っていたと言います。
小林の流れから想像できるのは、熊谷の小林源太郎ですが、最近まで生存していた彫り師が源太郎の子孫だったとは考えにくいですね。もう既に土の下にいる人を起こして聴くわけにもいきません。

ただ雲蝶と源太郎の作品が何処かで似通っていることはあり得るかもしれません。
雲蝶が門人となって修行した石川流の元祖、石川周信は花輪の石原吟八郎から出た彫り師です。源太郎の父源八も同じ石原吟八郎の門人でしたので同じ釜の飯を食った間柄だったのかもしれませんので、作品が似ている事も否めません。

文献も焼失したとの事なので真実は分かりません。
ただよく観察した中では、雲蝶ならもっと迫力があったかナ・・・とか、もう少し詳細な部分も彫ったんじゃないかナとか、雲蝶びいきの私は、やっぱり忖度してますね(笑)

とりあえず、ずっと心の奥にくすぶっていた事を今回確認できただけでも収穫でした。

ではまた

すい子
posted by 南魚沼雲蝶会 at 16:34 | Comment(0) | 会長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年12月07日

つぶやき その181

≪ 2泊3日の雲蝶探しに・・・ ❷ ≫

昨年館林で見つけた雲蝶作品は、鞘堂に納められた本殿の胴羽目の部分には、「江戸 彫工 石川安兵衛源雲蝶」と、ハッキリ刻銘があり、もう一人 「花輪 主信」と、読める名前も残されていました。

201207_01.jpg201207_03.jpg201207_02.jpg201207_04.jpg

これは越後から流出したものではなく、明らかにここの本殿を造る為に、江戸にいた雲蝶が出向いて手掛けた彫り物だと確信しています。そして、「花輪 主信」という刻銘も、上州花輪の黒川郷彫り物師集団を作り上げた石原吟八郎の元で修行をした石原常八の2代目の主信であり、名工三八の1人としてその名を知られていた彫り物師です。
雲蝶より28歳も年上で、恐らく雲蝶にとってはいい師匠の元でその技術を目の当たりにしながら自らの腕を磨けたのではないかと思います。
年代が記されていないので雲蝶の年齢も定かではありませんが、当然越後入りする前の作品ですので若い頃の作品なのでしょう。

これが館林にあるという事は、きっと他にも何気なく見ているモノの中には雲蝶の彫り物がある可能性は大デス。
そんな期待に胸を膨らませて3日間、出かけた訳です。
先ずは図書館が一番情報源になりますので訪ねたのはいいのですが、駐車場が時間制の有料の為、1日籠っていると駐車料金だけでも多額になりますので、お金のない私にとっては厳しい!
市立の図書館って市民の為にあると思っていたのに、駐車場に料金がかかるとはどういう事なんでしょうね〜
そそくさと出てきました(笑)

これといって情報がないまま、以前から気になっていた「雲蝶の彫り物だと思います」という、確信のない情報を思い出し、こんな時しか行けないと、熊谷まで足を延ばすことにしました。

雲蝶の彫り物に酷似した獅子を見つけました。
次回に掲載させていただきます。

ではまた

すい子
posted by 南魚沼雲蝶会 at 14:18 | Comment(0) | 会長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする