2018年12月12日

つぶやき その125

≪ 雲蝶の作品、見っけ!! ≫

どうやら今年のクリスマスも雪の中で過ごせそうです。
いつの年だったか、この豪雪地帯で雪のないクリスマスを過ごした記憶があります。
クリスマスどころか、お正月の7〜8日ごろまで雪に無縁の年がありましたが、記憶に残っている人はいるでしょうか?
そんなに困るほどは要らないのですが(笑)雪国ですので、どこのスキー場でも雪の心配なく程々にあって、日々の生活にあまり支障のない降り方を・・・・(都合の良すぎる条件デス!)

ただお米を育てるための大事な、大事な水源です。この雪があってこその越後の豊饒の大地ですからこの大地から生まれる自然の恵みは、とても有り難い(^^♪
当り前のように自然から受けている幸は全てはこの水源に繋がっている、と思うと毎日の家の前の雪かきくらい鼻歌交じりで頑張るぞー! (と、この人、決心はいいのだがどうなる事やら)

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雲蝶ツアーが終了し、速攻で上州に行って来ました。
ずっと集中したかったのですが、全ての乗務が終わらないと気持ちが落ち着かないものですから。

ゆっくり花輪周辺の調べ物をしたかったので、1泊で!

雲蝶が習得した流派は石川流です。石川家の3代目、江戸下谷にあった豊光の門人として修業をしていたようです。
初代の石川周信勝右衛門は武州中瀬(今の埼玉県深谷市)に生まれていますが、縁があって上州花輪の彫り物師、石原吟八郎の元で腕を磨くようになるんです。
そこから枝葉を分けて石川家の祖となり、石原流の技を継承して2代目、3代目と繋いでいくのですが、3代目の時は既に江戸に住まいを移していました。
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雲蝶の技にみる彫り物の特徴は3Dの深掘り、そして登場する人物の表情の豊かさと、決して静止していない躍動感が溢れ、どんなにささやかな場所でも詳細に彫っているところでしょうか。
そんな作品が石川流の特徴とするなら、雲蝶が修行をした石川流の原点をどうしても探ってみたくなりました。

そこから花輪に執着するようになりました。
色んな事を調べていく中で、越後で雲蝶とよく引き合いに出されるのが熊谷出身の小林源太郎です。この人の原点も父親の源八が石原流から学んでいるので、二人は深い関わりがあったんです。

先日上州の図書館で、普通なら見たくも無くなるようなぶ厚い古〜い黒保根町史をめくっていた時、思いがけない文字発見。

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「石川雲蝶と石原常八の棟札確認」という目を疑うような文字でしたので、どうしてもこれを確認したくて現地に行き、感動してしまいました。
このしなやかな手先、反り具合、そして背中の丸め具合、あぁ、越後にある雲蝶の作品に酷似しています。

これを管理している行政にお聞きしたら、確かに棟札も確認して石原常八と石川雲蝶の名前があったとの事。
しかし、「人に見せるためのものではないので、これに関わる資料などは見せる事はできない」とあっさり断られてしまいました。
行政で管理している物なら、市民の宝物でもある訳で、素晴らしい文化財なら市民が鑑賞する権利があるのでは、と食い下がってみたのですが、何しろ私は他県の人間ですのであまり強く出しゃばれません(気が小さいので)

なぜ拘るかというと、石原常八は主信といって初代の石原吟八郎から枝を分けた石原常八雅諭の2代目の常八です。
この人、波の伊八、弥勒寺の音八とともに「名工 三八」といわれ、まことに素晴らしい物を彫る彫り師です。
雲蝶より28歳も年上で、こんな人物と一緒に仕事ができたという事は、長い期間常八の身近でその技を見る事ができたという事です。

そんな二人が揃って棟札に名前が刻まれているものなど、二度と出てくることはないでしょう。何とが資料を見せていただきたいものです。
越後の小さな町で石川雲蝶のストーカーをやっている程度では、箸にも棒にも掛からないと思いますが、思い付くことは何でもしないとね!

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※彩色された鮮やかな社殿は埼玉県熊谷にある妻沼聖天山です。
 日光東照宮が建立された100年程たってから、上州彫り物師集団が手掛けたもので国宝に指定されています。
 まるで、東照宮のミニチュア版のようですね。

ではまた来週。

すい子
posted by 南魚沼雲蝶会 at 08:00 | Comment(0) | 会長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年11月28日

つぶやき その124

≪ 6年目の雲蝶ツアー終了しました! ≫

11月も後半になると私の住む南魚沼市のアイドルの山々も、頭に白い帽子を被るようになりました。
先日、平地にも初雪が降り、いよいよ白い世界に包まれるようになります。
毎年の事ではありますが、この初雪が「これから冬になるよー」という目安です。初雪は決して積もらないという事を私たちは知っています。ですからこの初雪が消えて次の雪からがスタートです。
その間にやり残した冬支度を済ませてしまいます。初雪はその為の準備期間なんです。

「 ほら!早くしな! 根雪になるぞ! 」

大根や白菜、キャベツや野沢菜、長い冬の為に蓄えておく野菜をこの期間に全て収穫します。
そして雪囲いは大事な家屋を守るための最後の作業です。

準備万端!いつ天から白い粉が降ってきても大丈夫!丁度今がその時期です。
貴重な日々です。

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先日、丁度タイミング良く(?)最後の雲蝶ツアーが無事終了しました。
春から晩秋まで毎週日曜と祝日に運行している六日町観光協会主催の「名工 石川雲蝶の作品をたっぷり堪能するバスツアー」が今年で6年目になり、滞りなく終わりました。
生誕200周年の節目の年でブレイクして、何世紀に一人いるかどうかわからないとさえ言われる石川雲蝶の作品にブームの火が付きました。

しかし、どんな事でもそうですが、ブームというのはやっては来ますが去っても行くという事を、学習しました。
それまで三条の本成寺の境内で静かに眠っていた雲蝶は、賑やかな声で起こされやっと目覚めたと思ったら今度は周辺が静かになり、雲蝶はまた寝心地のいい墓の中で深い眠りに尽きそうです。

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せっかく起きたこの人を再び眠らせる事は余りにも勿体ない!!
これから先、このような彫り師は二度と現れる事はないと思っています。今ある作品を風化させることなく、語り継いでいく事が石川雲蝶のストーカー1号として名乗りを上げた私の仕事かと思います。

雲蝶ツアーも1年毎にリピーターが増えて、雲蝶に興味を持って何度も魚沼を訪ねてきてくれます。
一度作品を観ると、人の心を鷲掴みされてしまうような感情に陥いるのだと言います。
1日の中の限られた時間内で、雲蝶の魅力を皆様にお伝えするには時間が足りない!(笑)
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なので、このツアーは昼食後のお昼寝タイムはありません。
最近の日帰りのバス旅行は昼食後、30分ほどお客様にお休み時間をとっていただくという事のようです。

でも雲蝶ツアーはそれがありません(笑) 『 家に帰ってからお昼寝してください 』です。
先日もアンケートの中に「余りにもガイドさんの話を夢中で聞いていたら、家に帰ってどっと疲れが出た」と書いてありました。

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お客様にとっては過酷なツアー(?)なのかもしれませんね(笑)
そんな過酷なツアーを6年も続けてきました。
参加された方が雲蝶にちょっとでも興味を持って下さったなら、これ以上嬉しい事はありません。
来年、六日町観光協会がこのツアーを継続してくれることを願って、今年のツアーの終了をご報告いたします。

ではまた来週

すい子
posted by 南魚沼雲蝶会 at 08:04 | Comment(0) | 会長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年11月21日

つぶやき その123

≪ 石川雲蝶が初めて空飛んだ! ≫

この詳細は随分前のこのブログ「つぶやき 68」で『 探しています。まぼろしの六歌仙 』というタイトルで詳しく書いたような気がします。
雲蝶の作品が越後にしかなく、その数が1千点にものぼり中越地域に所狭しと社寺仏閣に作り置きされている中で、たった1点だけ県外に流出してしまっている作品があるという話。

その六歌仙の格調高い浅彫りの欄間2枚は、永林寺の檀徒総代真嶋亀蔵に世話になっていた頃、亀蔵に頼まれて作ったものです。
亀蔵はその欄間を同じ村の庄屋の家に贈ったんです。
この庄屋の家から嫁を貰っており、いい嫁であった事から嫁の実家にお礼の意味で贈ったものです。ところがこの庄屋の家が後継ぎの当主が次々と亡くなってしまい、とうとう家を継ぐ者が絶えてしまったんです。

仕方なくこの家の家財は売りに出されることになったのですが、最後まで売れ残ったのが六歌仙の欄間だったんです。
この欄間が来てから後継ぎが次々に亡くなって、不吉な欄間だとして買い手がつかなかったんですが、その時小芋川という山間の小さな村の庄屋が当時のお金で200両で買い取ってくれました。

昭和56年までこの家にあったのですが、その後引っ越すことになり売却をすることに決めたんです。
ところがお金の絡む事になると、いつの時代も円満にはいかないのが当たり前のようです。
行き場のなくなった六歌仙の欄間は、安く叩かれて最後には名古屋の方へ売られていったらしい。というところまで情報としてあるのですが、その先が全く前に進みません。

名古屋市長、愛知県知事、それぞれ情報提供をお願いしてみたのですが、ささやかな越後の地で観光ガイドをしている程度では箸にも棒にもかかりませんでした。

いろんな方法で探しましたが、これといった情報はなく今年の夏には雲蝶ツアーに参加した方が大阪の方に西田敏行さんが司会をしている番組で、「探偵ナイトスクープ」というものがあると情報をくれました。

物探し、人捜しが中心で採用されたものを最大限に探してくれるという番組なんだそうです。是非これに応募してみたらどうかと、提案してくれて募集要項も調べてくれました。
やはり最速はメディアになるのでしょうね。しかし、これも応募して2ヶ月以上にもなっていて何の連絡もなく、恐らくボツになってしまっているのだろうと、落胆しているところへ神の手が!!!

ツアーでは毎回帰りの15分という時間の中で、行方不明のまぼろしの六歌仙の話をして、参加者に情報提供をお願いしています。
その時にプライベートで参加していた「恐れ多い方?」が、「早く見つかるといいですね。お手伝いしますよ」と言って、雲蝶を飛行機に乗せて空を飛ばしてくれました。

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新潟と名古屋を結ぶフジドリームエアラインズの機内誌に掲載されたんです。
掲載されただけではなく、まぼろしの六歌仙を地域をあげて探しているという情報提供依頼のコメントも入れてありました。
本来ならこういう事をお願いできるような立場にないのですが、ありがたや・・・

多くの方々のご協力を頂きながら丸4年が過ぎてしまいました。
きっと雲蝶自身も懐かしがっているこの欄間の行方が、早く見つかってくれればと願うばかりです。

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この行方不明の六歌仙の話は、私が今一番課題にしている事でこの度出版させていただいた『石川雲蝶と魚沼の人々』の中に私の想いと一緒に綴らせていただきました。一番書きたかった内容で、誰が何の為にどういう経緯でなぜ県外に流れて行ったのかが書かれており、願わくば皆さまにも読んでいただきたい一冊です。

ではまた来週

すい子
posted by 南魚沼雲蝶会 at 09:58 | Comment(0) | 会長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする